生年月日
明治30年(1897年)1月1日生
 
本籍地
秋田県大館市字長倉77番地
 
役 職
一刀流中西派九段
全日本剣道連盟範士
秋田県剣道連盟顧問
大館北秋田剣道連盟顧問
 
剣道歴
 大正6年(1917年)、東京修道学院(院長高野佐三郎範士)に入門、大正8年(1919年)まで宮沢久治教士(元大館中学校剣道教師)より剣道を学ぶ。大正9年(1920年)東京修道学院の塾生となる。大正12年(1923年)から昭和13年(1938年)まで警視庁武道(剣道)助手を命じられる。昭和8年(1938年)警視庁助手会会長に就任。昭和20年(1945年)郷里大館に戻る。昭和28年(1953年)より大館市剣道連盟顧問を勤める。県北地域の小学校、中学校、高等学校の剣道の指導にあたる。 昭和55年(1980年)6月10日午後1時半永眠。享年83歳
泉通四郎先生経歴
 剣正塾の塾長、籾山昇(もみやま・のぼる)。1940年生れ、教士7段。元高校教師。高校、大学と剣道部に所属。28歳の時、泉通四郎先生に出会い、爾来、泉流剣道の継承に努め、先生亡き後は、師の志を継ぎ、「正しい剣道」を求めて「剣正塾」を主宰し、今日に至っています。座右の銘は、世阿弥の「日々稽古、生涯稽古」に倣い「日々努力、生涯努力」。「剣正塾教本」に「剣道日記を読む(「剣道日記」解説)」を執筆しました。
籾山昇塾長
剣正塾とは
 
 一刀流中西派高野佐三郎門人・泉通四郎範士が門弟に託された「泉流剣道」を継承するためにつくられた剣道修練の場です。「泉流剣道」とは、剣の理法に適う「正しい剣道」のことであり、具体的には、「泉通四郎・剣道日記」に収められている剣道のことです。「剣道の妙技は、攻めて打ち出させて、応じて打つことである」という師の教えを習得するための努力が重ねられています。また、「剣正塾」は、「正しい剣道を、正しく学ぶ」という決意を込めてつけられた呼称です。

組織と活動
 
 稽古は、原則として祝日に関わりなく毎週月・水・金の午後7時から9時まで秋田市立茨島体育館剣道場で行われています。「すべての時空(時間と空間)がわが修行の場」という泉先生の生き方に学んでのことです。塾は、成人を対象に三つの会則で運営されています。「正しい剣道」の修練に努める。年長者が上に立つ。(竹の)竹刀を使う。訪ねる人は拒まず。いつも、どなたにも門は開放されています。年会費3千円を負担し、名簿に掲載されている方は、約50名ほどですが、入れ替わり立ち替わり稽古に来られる方をいれると70名ほどになります。他に剣正塾の垂ネームをつけている高校生が3名おります。稽古始めの挨拶は、個々に行っています。勤務時間の関係から揃って始めることが難しいからです。終わりの挨拶は、揃って行いますが、上座にはどなたもお座りになられることはありません。泉先生がお座りになられているとご理解いただいてのことです。
 「正しい剣道を正しく学ぶ」ため、塾では、「剣正塾教本」(B5)を発行しています。96年には、これをまとめ「教育剣道の研究」(なんば書房)として発刊しております。また、「現代剣道の研究」(なんば書房)として01年に出版しました。
 「剣道日記を読む」として「剣道日記」の解説を綴った「剣道日記解説」を02年5月に出版しました。
 塾には、塾長の他に塾生会の会長、事務局長、事務局員を置き、会の運営にあたっております。毎年5月に総会を開き、活動方針を決め役員の改選を行っています。会費は、通信費、大会参加費、昇段祝いなどにあてられています
出版物の紹介
絶版と思われていた剣道日記が発見されました!
限定30冊のみ販売致します。
●連載 剣正塾教本
bP 警視庁剣道教本を読む
bQ 高校生を対象にした技の研究(更新しました)