私たち泉通四郎門下生一同は、いつの日にか師の剣道の「心」と「技」を多くの人たちにお伝えしたいと念じて来ました。先生は、技の究極は「突きに始まり、突きに終わる」と解き、技を支える心は「不動心」であると教えられました。又、剣の妙技「先に渡り、機を見て打ち込む」ことであり、「先に仕掛けて誘い出し、打ち出させて応じ返す」ことであり、その基は「剣先の妙」にある。こうした剣道は「正しい足さばき」から生まれるとし、「間合いをはかり、打突の機会をつくり、踏み出して行くことのすべてが足の運にある」と諭されました。
 さらに剣道の修業の心構えは「物ごとをやり遂げる精神を養うこと」であり、それゆえに「日ごろから苦しい稽古をするのだ」と地元中学生に説かれていました。又、門人たちには「四十歳をすぎなければ剣道の『旬』はでないものだ」と言われ日々の稽古の大切さを指摘されていました。
 師は、この「剣道日記(五月二十八日)」に「泉通四郎、八十三歳にして開眼。剣道の基本を言葉ではなく正しく手足を動かしてやって見せることだ」と記しています。正に自ら休むことのない「剣道(技)」の追及の一生でした。
 師が残された「正しい剣道」を掘口清先生、小笠原三郎先生のご挨拶を頂きながら「剣道日記」として発刊することができますことは門下生にとってこの上もない喜びです。
剣道日記 はじめに
 泉通四郎先制には大館にお戻りになられて以来「正しい剣道」普及のために心血を注がれて来ました。又、この「剣道日誌」を著し、ご自分の志を弟子たちに託されました。先生がご他界されてからもう十年余の歳月を数えてしまいました。ご子息、泉良知先生より日記の写しをお預かりし、堀口清先生、小笠原三郎先生、故横田正行先生より激励のお言葉を頂きながら、今日まで発刊が遅れましたことは、一重にこの任にあたりました私どもの非力のためでした。ここに深くお詫び申し上げます。こうした経緯を経ながらもここに「剣道日記」として刊行できましたことを無上の喜びとするものです。泉先生が託された「正しい剣道」の普及は決して容易なことではありません。すでに鹿泉館(館長・長崎)、剣正塾(塾長・籾山)を興し、研鑽に努めているところですが、未だ「入門」の城を出ていません。これからも泉先生に縁の深い諸先生のご指導を賜りながら追求して行く決意です。
 泉先生が生涯賭けて極められた剣の「心」と「技」をこの「剣道日誌」から直接読み取ることは困難なことだと思われます。手取り足取りご教授頂いた私どもが師の「心」を失うことなく「技」を解した「解説書」を著すことが責務かと考えます。至難な任務ではありますが、これから努力を重ねる決意です。
 真に「剣道」を「人間形成の道」とする先輩諸兄が、師が求めて止むことのなかった「正しい剣道」とはいかなるものであったのか、ご理解いただき、ご修練の標にして戴けるならこれにすぐる喜びはありません。最後に泉先生「逸話」をご紹介し編集後記といたします。
剣道日記 編集後記