泉先生が遺された『剣道日記』は、刀を想定し、竹刀を用いて行なう「剣道(剣術、竹刀剣道と区別し、『 』を付けて『剣道』と表記し、呼称する)」にとって大いなる遺産と言えます。泉先生が八十余年の生涯を賭けて極められた「剣道」を引き継ぐことは門下生の責務です。『剣道日記』の編集後記には、次のように記していました。「泉先生が生涯賭けて極められた剣の心と技をこの『剣道日記』から直接読み取ることは困難なことだと思われます。手取り足取りご教授頂いた私どもが師の心を失うことなく技を解した『解説書』を著すことが責務かと考えます。至難な任務ではありますが、これから努力を重ねる決意です」。
 これまで泉先生の教えと『剣道日記』に依拠して『剣正塾教本』を発行して来ました。一冊は『教育剣道の研究(既刊)』として、一冊は『現代剣道の研究(既刊)』としてまとめました。しかし、解説書を現わすまでには至りませんでした。ひもとくほどの力の不足を感じてのことです。しかし、剣道は、次第次第に「剣道」から離れて行く感があり、手をこまぬいているわけには行かなくなっていました。まずは、剣正塾に集う若い人に、と思い立ち書き綴って来た『剣正塾教本―剣道日記を読む―』を『剣道日記』解説として発行することにしました。一部は『教育剣道の研究』と重複することになりますが、著者の読み取りの変化も又『剣道日記』を読み取る上で大事なことと考え、新たに全文を読み直すことにしました。泉流剣道の技と打突を覚え、習い、使い、そして、磨いて欲しいと思います。
 客観的に見て、文化としての剣道はいずれ、その歴史的使命を終えるだろうと思います。何十年先なのか、何百年、何千年先のことなのか、定かではありません。しかし、「発生から消滅まで」という発展の過程をたどることに剣道だけが無縁というわけには行かないからです。歴史的使命を全うする。これは、剣道に関わる全ての人たちの責務でもあろうかと思います。私たちは、こんな思いを抱き、これからも剣道に関わっていたいと思います。
剣道日記解説 はじめに
  同門・長崎宏紀先生が残された「泉通四郎先生覚え書き」とも言えるメモが手元にあります。『剣道日記』編集後記に収める予定でしたが、時間的なこともあり、手元に置いたままにしておりました。『剣道日記』解説の発刊にあたり、編集後記として収めることにしました。泉流剣道を理解する上でご参考に資していただければ、長崎先生もどんなにお喜びになられることか知れません。ご活用ください。注解は著者によるものです。
 
一、竹刀は、木刀や真剣のように「反り」がなく、のっぺら棒である。それを刀と同じように使うとすれば、手首の返しや柔らかさが要求されるものである。
二、剣道の「応じ技」というものは、相手に打ち出されるように持って行かなくては正確に応じられるものではない。某範士は、「勘」でやると言っていたが、考え方としては情けないことである。面を打ちたい者には、面を打ち出しやすい間合いをつけることである。面を打ってくることが分かっていれば、「応じ面、応じ胴、応じ小手」が無理なくできるのである。その方法には、相手の打ち間に攻め入り、切っ先を開く、下げる、上げる、などの工夫が必要である。
三、剣の技を出すには、例えば、表を攻め、裏を攻め、表から打つ。あるいは、突きを見せて(相手の)構えを崩して打つなどの攻めの組み合わせがあるものだが、初めは、竹刀を用いて、形に表して行い、次には、足の移動によって行い、最後には、気位によって相手の構えを崩して打つまで修業しなければならないものである。
四、日本剣道形が、私が大先生(おおせんせい。高野佐三郎範士のこと)から伝授されたものと変わってきてるように思うが、誠に淋しい。特に一本目、六本目、七本目と小太刀の二本目は、そうである。
 (注解)
  「日本剣道形は、九歩の間に立ち、行う」としながら、一本目、打太刀は、左足を前に出して左上段になる、と解説されています。これでは八歩半の間に立つことになります。このことは、解説でも否定されてはいません。しかし、打太刀が、三歩前に進み、打ち間に入る間に「調整」することで解消されると言われます。泉先生が、大先生から伝授された剣道形では、打太刀は、左足を半歩前に出し(右足と揃う)、右足を半歩後ろに引いて振り被るというものです。これであれば、双方、上段に構えた時に九歩の間に立つことになり、打ち間に進む間に調整する必要はなくなります。どちらが理論的か、比較するだけで理解できることです。高野佐三郎著・「剣道」には,「(大日本帝国剣道形一本目)仕太刀は右足を出して右諸手上段に構へ,打太刀は右足を引いて諸手左上段に取る」とあります。
五、担ぎ方には、右手(右手の拳)を自分の左胸の所に持って来る方法と左手を前に出す方法とがある。面を打つ時、小手を打つ時の違いを知ることである。
 (注解)
  前者が面打ち、後者が小手打ちに適すると解することです。しかし、前者は、裏からの面打ちだけでなく相手の変化に対応して表から面打ちに変化することもできます。又、相手の竹刀を裏から切り落して体勢を崩し、面打ちに変化することもできます。後者も直接小手を打つだけではなく、相手の竹刀を叩いて、相手の攻めを制し、小手を打つ、と連続して使うこともできます。
六、橋本先生は、稽古していてほとんど汗をかく人ではなかった。自分も水分を絶って努力して見たが駄目だった。先生の稽古を存分に拝見し、その秘訣は足にあった。
七、昨今の上段は、面布団の上で両手が「休め」の格好になっており、打ち下ろすのではなく、左手の手のひらを返して伸ばすだけだから長身の選手が有利になるのだろう。上段は、左手の拳で面を攻めて小手、小手と見せて面など攻めて打ち下ろすことが大事である。
八、上段に対する構えは、剣先を左拳に付けて、やや平にするが、両手を返して右手(拳)に付けることもある。その場合は、両手を返して左手を打つのがよい。又、上段との稽古では、左足、右足と歩くように間合いを詰め、左小手、右小手、左胴、右胴、突きと連続して打てるようになるまで修業することである。
九、上段には、打ち下ろしやすいように間を詰め、応じ返し面などが有利である。
十、手首を柔らかくし、手足の連続動作をスムーズになるようにやらせるためには、両手首を半分ずつ返しながら小手・面・胴・小手・面とか、正面突き・裏突き、表突きなどの練習を反復させることである。
十一、技の出し方には、大・中・小の打ち方がある。「大きく」とは、肩を使ったもので大きく振り被った面や切り返しなどがあり、「中ほど」とは、肘を使ったもので担ぎ技などがあり、「小さな」とは、手首を使ったもので、瞬間的に細かく打つものである。
十二、竹刀を巻き落とすのは、大事中の大事である。切っ先が下がったら表から巻き、上がったら裏から巻くが、その時に大事なことは、巻いた切っ先を自分の斜めの方向(右肩、左肩)に持って行くことである。決して自分の方に引き込んではならないし、左右の手首の返しを小さく、鋭くすることである。
十三、相手に「起こり」の技が使えるようになれば、一人前であり、剣道の醍醐味である。修練し、技ができ、目が肥え、人ができてこなければやれるものではない。
十四、ある先生の稽古を拝見していたら、相手に先に一本打たせて、次に自分が同じように同じ所を打っていた。相手に無言で力の差を感じさせるのには充分であった。
十五、剣道というものは、決して無理な、むちゃなやり方をしてはいけない。理詰めであって、正しい剣道を心掛けなければならない。人生もしかりであって、剣道の修業が人生の道に通じるものである。
十六、小手・面、小手・胴、小手・面・胴などの連続の打突は、その意図する所をはっきりしなくてはいけない。切っ先を外すために小手を見せて面や胴で一本にするか、小手も面も胴も一本にするかである。
十七、竹刀を払い、摺り上げるには、竹刀の鍔元にやるべきであり、手首を充分に返して(鎬を使うように)、表からは、相手の左足を右足で踏むようにし、裏からは右足を踏むようにし、決して自分の方に呼び込むようにしないことである。

剣道日記解説 編集後記